子育て手記
子育て手記04
娘はまもなく40歳になります。出産は問題なく、1歳で保育園に入りましたが、1歳半健診の直前に保母さんから、情緒不安定と言葉の遅れを保健所に相談して欲しいと言われました。当時私は働いており、会社では望んでいた部署に異動したところだったのですが、娘に向き合う必要を感じて退職しました。
そして保健所で半年程指導を受けた後、児童相談所でグループ指導の教室を受けました。初めて教室に行った時お会いしたお母さんが、娘が声を出しているのを見られて、「声が出ていいですね」と言われたことに驚きました。そのお母さんの子供さんは全く声を出されませんでした。保育園で初めての生活発表会を見に行った時、娘が舞台で泣き出し、保母さんからお母さんがお迎えに来たと思ったようだと言われました。その後卒園するまで、運動会と生活発表会は友人の後ろに隠れて見ていました。当時の思いはとても切なかったことを覚えています。
保育園年長の運動会は、「鳴子踊り」をしたのですが、前もって保母さんから、練習に殆ど参加せず遠くから見ているだけと聞いていたので、期待せず見ていたら、ワンテンポ遅れながらも輪に入ってしっかり踊ったので、娘にも可能性があるんだと認識させられました。
児童相談所から勧められた発達診断は、娘が体調不良になったことで、ようやく年長で、「知的障害」と判断されました。障害はあると思いながらも、当時の教室の先生から強く勧められたこともなく、今思えばもっと早く親から要望すべきだったと思います。
3歳頃から、単語を話すようになりましたが、年長でも名前や他の単語も10語位しか話せなかったので、住んでいる地域ではない育成学級を見学して決めました。当時は地域に育成学級がなかったのです。ただ保育園の同級生もいたので、私も知り合いのお母さんがいることは、少し安心できました。1年生の担任の先生は初めて育成学級をもたれたとのことで、残念ながら障害にあまり理解がありませんでした。
1年生の1月に育成会を紹介されて入り、先輩のお母さん方に相談したりして、本当に助けて頂きました。3年生で担任の先生が変わりその頃からおしゃべりも増えてきました。育成会では、本部の役をもったことで当時の副会長の方々とお話しする機会もあり、学齢期の児童が少ないことを訴えたら、学齢部ができました。私も学齢部の役を担当し、京都市内の同世代の役員の方々と仲良くなれたのは財産で、今も交流があります。
中学校は、地域に新しくできることがわかり、私も小学校の経験から地域の障害のある娘さんのお母さんと共に説明会で育成学級を要望しましたが、できませんでした。開校後、長男が中学生となり、PTAの役員として学校に行くたびに育成学級の要望をし、もう一人のお母さんは地域の自治会の役員さんに働きかけてくれて、ようやく娘が6年生の時に育成学級ができました。中1の文化祭で、保育園が一緒だったお母さんと会ったら、育成学級の劇を見て娘が大きな声でせりふを言っているのに感動したと言ってくれました。そのお母さんは小学校が一緒ではなかったので、保育園で殆どしゃべらなかった娘がしっかり話すのに驚かれたようでした。
中3の頃には大体会話ができ、2歳上の長男と兄妹げんかするようになりました。ある時兄に対し、障害があるのがわかっているなら手加減したらどうかと言ったら、妹の方からけんかを売ってくるのだから手加減は必要ないと言われました。私はその時障害を特別視していたことに気づかされました。
また同じ頃、PTAの用などで学校に行くと「何しにきたの」と気にするようになりました。支援校高1でも私はPTAの役をして学校に行きましたが、やはり気にして聞いてきましたので、担任の先生と相談してメールでやり取りをずっとしました。
高等部で、娘といろいろ事業所を見学し、今の事業所が決まりました。娘も気にいりましたが、私も事業所の施設長さんが、「親御さんもできない作業をできるようにします。親御さんも勝てないものを本人が持つ事は必要です」と言われたことに賛同したので、今も行かせて良かったと思っています。事業所では、織機を使ってショールやマフラーを織っています。また刺し子刺繍でふきんを作っています。絵柄が大文字の送り火であったり、茶道のお茶碗と茶筅などで、観光客にも人気があるそうです。
余暇活動では、小学校や中学校の時は、大学生のボランティアと親子でのグループを作り、活動していました。高1になった時「青年学級」に入り、現在では日曜教室、クラブ、学習会に参加して、年齢の違うお友達がいます。また高等部を卒業後、ガイドヘルパーと一緒に京都市内だけでなく、大阪市や神戸市、奈良市、大津市と色々な所に出かけています。5年位前から本人の希望だったグループホームに住まいを移して、私からみても充実した生活を送っていると思います。ただ、アレルギー性鼻炎等があり、時々自宅近くの主治医にかかるため帰宅するので、今後の課題と思っています。相談支援事業所が事業所や、グループホーム、ヘルパー事業所と個々に繋がるのではなく、全担当者が集まって,本人と話し合う制度ができないかなとも思っています。こういった希望や困りごとの解決のために、育成会として自治体や、全国手をつなぐ育成会連合会、国に要望していきましょう。
(西部支部・上田克枝)