子育て手記

子育て手記05

2026.02.26

 私には、37歳になるダウン症の息子がおります。三人兄弟の長男です。

 結婚直ぐに妊娠し、妊娠8か月まで仕事を続け、母子ともに何の問題も無く出産を迎えました。予定日より2週間ほど早く普通分娩で産まれました。けれども産後2,3日経ってもお乳を飲めませんでした。2,600gと少し小さめでおっぱいを吸う力も弱く、母乳を搾乳して哺乳瓶から流し入れるように飲ませていました。どうして飲まないのか疑問に思っていたところ、先生から顔つきや身体的な特徴や心雑音からダウン症の疑いがあると告げられました。退院後に染色体の検査を受けダウン症候群であること、心房中隔欠損症と診断を受け、先ずは、ダウン症候群という障害についての学習から始めました。短命であること、様々身体的特徴もありますが、1959年に染色体の21番目が1本過剰による疾患であることが立証されたそうです。

 なぜ障害を持って生まれてきたのだろう…先ずは、お乳を飲ませること、初めての子育てに日々追われる毎日でした。看護師をされていたご近所さんに「たとえ病気があろうと障害があろうとこの世に生まれてきたのは、その子にしか果たせない大きな使命あるのよ。それを果たさせてあげるのが母親の使命であり、母親がしっかりやり切れば全て乗り越えられるのよ。」と励まして下さり、それからは、この子を命をかけて守り、生まれてきて良かったと思える様に育ててあげようと思いました。

 生後3ヶ月から児童相談所の発達外来で毎月検診赤ちゃん体操に通いました。1歳3ヶ月から母子通園施設に通い筋トレ、寝返り、ハイハイ等々体操を親子で挑戦する毎日が続きました。そして、ハイハイができ歩き出すと伸夫の成長のひとつひとつが、感動であり喜びでありました。1歳が過ぎて心臓の定期健診で、生まれたときに開いていた心臓の穴が塞がっており、健診に来なくてよいと言っていただきました。

 その後、健常の子供達の刺激が本人の成長に繋がるとアドバイスを頂き2歳から保育園、小学校も育成学級と普通学級に籍を置いて、本人の状況に合わせて交流してもらう体制を作って頂きました。中学校に行くにあたっては、6年間かけて社会人となるために身につけていくことを考え支援学校で学びました。卒業後は幸いにも2年10ヶ月企業就労させて頂き、現在の育成会の伏見工房に通所しております。

 工房には毎日楽しく通っています。支援してくださっている職員のみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。余暇活動は、青年学級の日曜教室、つばさ学習会、スポーツクラブ、よさこい踊り、スペシャルオリンピックスのバスケットボール、ヒップホップ等々、充実した日々を送らせて頂いております。

 ただ、親も子も年を重ね将来の生活の場所等、親亡き後の準備を考えていかないとと思っています。その上で、今やるべきことや経験させてあげたいことを、私が様々なアンテナを張り巡らせながら、研修会やおしゃべりカフェ等に参加して情報収集しています。初めから無理と決めずに本人の可能性を信じて、こちらも勇気をだして挑戦させてあげたいと思います。

 障害者の親として体験して来たこと、困っていること、知って欲しい事を、地域や行政に伝えていく事も大事なことだと思います。これから先、親亡き後も障害者にとって安心安全でより生活しやすい社会となることを願いたいです。

(伏見支部・匿名希望)