子育て手記
子育て手記06
今年で45歳になる息子は、2,590gの仮死状態で生まれました。未熟児では無かったのですが、念のため保育器に入る事になりました。そして、24時間後心肺停止状態になり、京大病院で出産したのですぐに未熟児センターに入院しました。その後、私が入院中に幾度となく危険な状態があったそうです。約1ヵ月後に退院することが出来、普通に生活していました。
ところが、保育園に通い始めた1歳9ヵ月ごろ、高熱が続き痙攣を起こしました。それまで風邪もひいたことがなく、無縁だった小児科に電話したところ、先生に「すぐに連れて来なさい」とおっしゃって頂き、処置してもらっても痙攣は止まらず、その小児科の先生の処置を受けながら、救急車で日赤の救急センターに行き入院しました。1週間後退院し、その後は京大病院で治療を続けてきましたが、熱の有無に拘わらず、昼夜問わず頻繁に発作を起こしました。発作を起こすと、点滴を打ってもらわないと止まらず、いつでも京大病院の小児科に行けるように、診察グッズを電話の傍におき、私が病院に連絡している間に、主人が車を出しに行ってくれるというパターンの繰り返しでした。小学校に入ってからは発作も治まり、大きな病気に罹る事もなく元気になりました。19歳でようやく病院と縁が切れました。
小学校の特殊学級では仲間もでき、先輩のお母さんたちには色々なことを教えてもらいました。人との繋がりを大切に、サークルを作り啓発活動をしたり、遊びに行ったりと様々な活動をしました。学生のボランティアサークルにも入れてもらい、キャンプ・スキーなど、またNPOの活動団体では、ドルフィンスイミング・ウィンドサーフィンなどあまり経験できない体験をさせてもらいました。4年生から入ったバスケットは、35年間今でも続けています。
本来校の中学校には、当時特殊学級がなく校区外の中学校に、バスを乗り継いで通う事になりました。方向感覚が疎いため何度も何度も練習しました。目的のバス停で降りられるか、乗り越さないか気になり、半年くらい自転車でバスを追いかける毎日でした。その甲斐あってか、家からはかなり遠い白河養護学校には、すんなり通うことができました。
現在は、卒業と同時に出来た施設に毎日通っています。あっという間に時が過ぎ、本人はいつかは家を出て行く日が来ると理解しています。これからは、悔いが残ることのない住処を見つけ、充実した日々を送ってくれることを願っています。
(西部支部・匿名希望)