ご家族の声
ご自身の子供に「障害があるのでは?」と気づいたとき
(北部支部・匿名希望)
2才になっても発語がなく、ハイハイ、お座り、つかまり立ち、1人で歩く、全てが遅かった。2才半の時、同年齢の子どもさんは1人で階段を上がっていたが、我が子は上がることが出来なかった。このころより「もしかして?障害があるのでは?」と不安が募りだした。
(中部支部・K)
下京区の8ヶ月検診で発達の遅れを知らされました。保健師さんに、同性のお子さん(妹)を産んであげるのがよいと言われました。知人からは、「万里ちゃんいるのに、よく産むわ」と言われました。1年9ヶ月後に希望通り妹が誕生し、姉妹で成長しました。下京保育所の6才の時、父親の仕事の関係でカナダのバンクーバーに引っ越しました。
(東部支部・S)
生後3週間目で障害がわかりました。出産後子どもだけ退院できず、病気があると思っていましたが、障害は想定外でした。これからの生活に何の見通しも持てず、不安しかありませんでした。
(東部支部・匿名希望)
1才半の健診に行った頃でしょうか。発達の療育施設を紹介してもらった時に覚悟しました。初めての子どもでしたし、無我夢中で訳もわからず育てました。やはり同じ年頃の子どもとつい比較してしまい、つらさと焦りを強く感じました。
(西部支部・上田)
1才で保育園に入り、1才半検診の直前に保母さんから情緒不安定と言葉の遅れを指摘されました。情緒不安定は、私の仕事で部署が変わり、私自身はやりがいを感じていた時で、それ以外の環境の変化はなく、私は娘の変化を重く受け止め退職しました。今思えば、娘より仕事の方に気が向いていたように思います。退職後は児童相談所に通所し、娘に向き合ってきました。
(西部支部・匿名希望)
長女、長男と当たり前のように成長していたので、6ヶ月になる頃、身体の成長に左右差があると検診で指摘された時もさほど深刻ではなかった気がします。ウィリアムス症候群ですと伝えられた時には聞いたこともない病名だったので、ドキドキしながら急いで図書館で調べました。
(伏見支部・N)
私の兄は知的障害と自閉症があります。母が不妊治療を10年近く行う中でやっと授かった初めての子どもでした。当時の治療で医師からは「何かしらの障害をもってくると思います。でも福祉の制度あるから大丈夫です」と励まされていたそうです。2才くらいの時にけいれんを起こしたり扁平足で歩行の訓練もあったそうです。でも親戚から「障害のある子がいるなんて世間体が悪い」と言われて手帳を取得できずなかなか療育が進みませんでした。2才9ヶ月下に、妹の私が生まれ、幼いときは気管支が弱く病気がちだったので、母は、子どもには、とにかく元気で生きてくれさえいればいいと思っていたそうです。
(伏見支部 匿名希望)
我が子はダウン症という障害なので、生まれた時にその顔身体的な特徴からダウン症の疑いがあるというお話があり、染色体の検査を2ヶ月後に受けてダウン症と確定しました。心臓疾患もあったので、初めての子育てでもあり、お乳を飲ませることと日常生活で精一杯でした。
(伏見支部・匿名希望)
2才ぐらいの時にはっきりと自覚しました。落ち着きがなく車のタイヤの動き出すのだけをじっと見ている子どもでした。しかし親としては「まだ大丈夫」とわけのわからない期待をもって育てていたと思います。